一般県道下佐東線・湯来〜安佐町


 県道下佐東線は、広島市佐伯区湯来町で国道433号線より分岐し、途中、山県郡安芸太田町を通過し、広島市安佐北区安佐町を経て、広島市安佐南区八木の太田川橋の西詰で国道54号線に合流する県道。
 この県道も県道中筒賀下線と同様に、太田川の右岸沿いをひたすら通り、このうち起点から広島市安佐北区安佐町久地の長沢大橋南詰までが未改良の区間。ただし、県道の途中に点在する集落は太田川を渡って対岸の国道等と結ぶ橋が架かっているので、一部区間のみの利用がほとんどで、通しで県道を利用する人はほとんどいないだろう。



 県道下佐東線の起点のようす。国道433号線から東へと分岐するが、案内標識の類はなく、交差点から水内川を渡る小原橋という名前の橋の手前まで、わずかに改良されている。



 小原橋を渡ると、異常気象時の通行規制区間を示す古びた標識があり、その先は太田川右岸の山すそ、あるいは崖の下のようなところを地形に沿う形で進んでいく。



 下流の間野平発電所と太田川発電所へ水を送るための中国電力の取水設備がある。その先は平地が開けており、民家が点在する津伏の集落と水田がある。



 進行方向前方に山が迫ってきて、ちょっとした坂を上ると、山から出てきた沢に短い橋が架かっており、そこが広島市と安芸太田町の境。市町境を越えて安芸太田町側にも数軒の民家があるが、その先は再び川沿いの山すその道となる。



 対岸から鉄橋で可部線が渡ってくると、程原という名前の小さな集落があり、県道はしばらくの間、可部線の山側を進んでいく。



 可部線を踏切で渡ると、大きく蛇行する太田川によって作られた平地に広がる津都見という名前の集落に出る。






 この集落へは、対岸の国道191号線から安野橋という名前の町道の橋が架かっているが、この橋の銘板の竣工年月はなんと「昭和六十四年二月」になっている。




 太田川の左岸へと鉄橋で渡っていく可部線の踏切を再び渡ると、だんだんと山が迫ってきて、この集落を抜ける。このあたりから見えるのは、太田川の自然溢れる風景。


 ダム関係の設備と山側に「中国電力所有地」という看板が建てられた狭い平場があり、その先が安芸太田町と広島市の市町境となっている。市町境を示す標識と、異常気象時の通行規制標識などが路側に建てられている。
 広島市に入るところで、明らかに舗装の幅が狭くなっているのと、質も落ちているのが分かる。



 広島市に入ると、凸凹の路面、路面に生えたコケと、荒れた感の漂う道路となり、それまでの道よりもさらに走行困難度アップ。また、待避所もほとんどなく、向こうから車が来ようものなら相当の距離をバックしなければならない。さらに川側に設置されたガードレールが道の狭さを余計に際立たせている。




 養鶏場と果樹園、数軒の建物の前を通り過ぎて、その先の杉林を抜けると、今度は日当たりが良いためか、路面の中央部にコケに替わって雑草が生えている。そして再び可部線が鉄橋で川を渡り、そのまままっすぐ道路右手の山を貫くトンネルに入る。県道は高さ制限3mの標識がある鉄橋の下をくぐっていく。



 うっそうと雑木、雑草が生い茂る中を進んで前方が開けてくると、広島市安佐北区に入って最初の集落、追崎という集落に入る。



 集落内に入って少し進むと、、センターラインもある改良済みの道となる。しかし、対岸へと渡る橋に続く市道との交差点を過ぎ、集落を抜けるところで、再びもとの未改良の道に逆戻り。



 しかし、道幅はこれまでよりもいくらか広くなっているので、走りやすく感じられる。トンネルから出てきた可部線が再び太田川の左岸へと渡る鉄橋の下をくぐる。



 その先に吊り橋が見え、その橋の下をくぐると、宇賀という名前の集落にたどり着く。
 ここから高山川を上流にさかのぼると宇賀ダムというダムがあり、さらにその上流には美濃からの落人の子孫に当たる人々が住む丹原という集落があった。最盛期には約30戸、150人が生活していたが、昭和50年についに住む人がいなくなり、約900年の歴史に幕を下ろし、廃村となった。国土地理院の地形図からも、丹原の地名は既に消えている。




 高山川に架かる橋を渡ると、再び人の気配の感じられない川沿いの道に戻る。道路左側も雑木林となり、ガードレールもなくなったかと思うと、ほどなく野冠(のかずき)という集落に着く。太田川を渡る橋が架かっており、対岸の国道へと出ることができる。



 集落を抜けて進んでいくと、右手の山が杉林から落石防止網の張られた切り立った崖へと変わる。



 切り立った崖からいくらか斜面が緩やかになったところで、たもとに祠のある短い橋が架かっている。橋名板を見ると、橋の名前ははなんと「地獄橋」。この橋名は、地名である地獄山・地獄谷からつけられたもの。
 道をふさいで通行する人々を困らせた牛鬼を退治した山伏の伝説がこの地にはあり、橋のたもとにある祠は、その山伏を祭ったもので、地獄堂と呼ばれている。



 送電線の鉄塔の下には、中国電力間野平発電所があり、その下流側の斜面には、間野平の集落の民家が点在している。



 間野平の集落を抜けて山すそを進んで行くと、太田川を渡る大川橋のたもとで、県道広島豊平線にいったん合流する。



 広島豊平線との重複区間は200mあまり、案内標識の行先に安佐動物公園と出ているほうへ左折する。吉山川を渡って太田川に沿って東へと進む。



 対岸の国道を見ながら進んで行くと、太田川との間の細長い狭い平地に工場などが建っている。道はほとんど直線なので見通しは良い。



 対岸の飯室とを結ぶ長沢大橋のたもと近くで、長かった未改良区間はようやく終わり。


 これから先の区間は、長沢大橋と安佐トンネルの整備により、国道191号線から長沢大橋を渡って、安佐動物公園やその先、安佐南区方面へ向けて走る車が多く、今までとは一転して交通量は多くなる。
 下佐東線の終点である安佐南区八木までは、まだこの先15kmほどあり、未改良の区間が部分的に残っているものの、延長が長くないので、通行するのにそれほど苦労することもない。

 このページの作成にあたり、参考とした文献等
  ふるさと丹原 有馬静男
  広島ホームテレビホームページ 暮らしの疑問


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