一般県道帝釈峡井関線・神石〜三和


 県道帝釈峡井関線は、神石郡神石高原町永野を起点とし、神石高原町井関を終点とする一般県道。神石高原町永野から草木までの区間は、高原に点在する小集落を通り、旧油木町に入ったあと、二つの峠を越えて旧三和町の中心で、神石高原町の役場もある小畠に達する。小畠から井関の区間は、福山方面と三和・上下方面との結ぶメインルートの一部となっているので、小畠から北の区間とは対照的に、この区間を通る車は多い。



 帝釈峡を通る県道三原東城線はすでに改良済みとなっており、県道帝釈峡井関線は神竜湖トンネル南側から左手に分かれる。神竜湖沿いに進んで歴史民俗資料館の前までは三原東城線の旧道区間。


 帝釈川をせき止めたダムによって作られた神竜湖に架かる赤い橋は県道三原東城線の紅葉橋。橋のたもと近くには、神竜湖の遊覧船乗り場がある。帝釈峡は庄原市東城町と神石高原町にまたがる、全長20kmあまりの峡谷で国定公園に指定されており、美しい紅葉のシーズンなどは観光客でにぎわう。




 資料館の前を右折すると、2つのヘアピンカーブを織り交ぜた急坂へと道は一変する。その坂道を登りきると、山に囲まれたわずかな谷あいの平地に水田と点在する家屋が見られるようになる。


 奈賀野鉱山跡という案内看板が県道沿いに建っている。説明によると、かつてはこの奥に銅を産出する鉱山があり、江戸時代から採掘が続けられていたが、今は廃鉱となり鉱山施設の一部が保存されているそうだ。




 道の両側に広がるこんにゃく畑の中を通り抜ける高原の風景を見たあと、逆S字状のカーブのある坂道を下りていく。「旧役場」という名前のぼろぼろになったバス停が建っており、ここには昭和30年に神石町に編入合併した、旧永渡(ながと)村の役場があったものと思われる。




 帝釈峡ダムへの堰堤へと続く遊歩道の分かれには、トイレを備えた休憩所が整備されている。さらに車を進めると、郵便局や商店があり、この県道沿線ではまとまった規模の集落である、市場という集落に出る。ここには平成14年に廃校となった小学校の校舎を利用した、ふれあいセンターながの村という宿泊研修施設がある。



 診療所の前を通り過ぎると、沿道には民家もほとんど見られなくなり、山すそに沿って進んでいく。大きなヘアピンカーブで帝釈川の支流である岩屋谷川の作った谷筋へと下りて、川に沿って進んでいく。



 古代人の遺物が出土した観音堂遺跡は県道沿いにある。旧石器時代から縄文時代にかけて、洞窟の中で生活した人々が使用した土器や石器、食料とした動物の骨などが発掘され、出土した品は資料館で展示されている。洞窟の入口にはバリケードがあり、立ち入りが禁止されているが、入口近くに立つと、洞窟の中からは真夏でもひんやりとした空気が吹き出してきている。




 谷あいの杉林を抜けると、右手に大きな切り立った岩が露出しており、一ツ橋という名前のバス停がある。県道は「←油木」と書かれた案内標識の示すとおり、ここを直進せずに左へと折れる。
 切り立った岩には、なんと文字が刻まれており、「昭和七年 天見線起工記念 発起人 下江」などといった文字が読み取れる。傍らに立つ説明板によると、昭和7年に天川と見内という集落を結ぶ道を、人力で岩を砕くなどの大変な難工事の末、荷馬車が通れる道に開削した際に、工事の労苦をたたえて、16mにもおよぶ大きな文字を一ヵ月半かけて刻んだそうだ。



 一箇所、カーブで町道が分かれていった先は、急な登りの坂道となっており、その坂道を登りつめた先はなだらかな台地となっており、畑などが広がる中に民家が点在している。集落の中を通る県道沿いには、雷神様を祭った大きなモミの木がある。


 県道は手前の集落に立ち寄るため、地図上で見ると大きく迂回するようなルートを取っているが、農協の支所だった建物の手前で一ツ橋の先で分かれた町道が右手から合流してくる。



 休校となっている永野南小学校は、木造2階建ての校舎とグランドがあるが、ひっそりと静まり返っている。その前を通り過ぎると、200mほどの区間だけ改良済みの道路となっている。


寂しい林の中を抜けた先で、県道よりもはるかに立派な神石広域農道と交差する。画面手前から奥へ続く片側一車線の道が農道で、県道は交差点部分だけわずかに広げられているに過ぎない。


 ここは、塚ヶ峠(つかがたお)という地名で、天気のいい日には遠く大山まで見渡せ、初夏から晩秋にかけての朝には、見事な雲海を眺めることができるそうだ。


 神石広域農道は、旧神石町と旧油木町とを結ぶ最速のルートで、この先、福桝川の谷底から100mの上空に架けられた福桝川大橋という橋もある。橋の上から福桝川の谷底を見下ろしていると、何やら秘境に来たという感も漂う。



 山の等高線に沿ったようにくねくねと曲った道沿いに、斜面にへばりつくように民家が点在している。ここからは東に向けて眺望が開けており、遠くの山々が見渡せる。



 柿迫という集落のあたりから下り坂へと転じ、福桝川の谷あいへ向けてどんどん標高を下げていく。林の中を抜けて、人家と水田などが見えてくると、ほどなく福桝川沿いに下りる。




 神社の前で県道牧油木線と交差したあと、福桝川沿いを東進する区間は、牧油木線との重複区間となっている。「小畠→」の案内標識が建つ交差点を直進するのは牧油木線で、帝釈峡井関線はここを右折する。




 帝釈峡井関線は福桝川を渡り、うっそうと木が茂る林の中へと入っていく。福桝川の支流である野谷川沿いに続く道には、途中、分かれ道が何箇所かあるが、「←小畠」と標識に記された方向に進む。


 野谷という名前の数軒の民家が点在する集落を通り抜けるが、ひっそりと静まり返っており、人の気配は感じられない。



 薄暗い木立の中に続く坂道を登りつめると、切り通しとなった道の両側にコンクリートの土留擁壁が続く峠の頂上に到達する。



 峠から阿下(あげ)の集落へ下りる道は、途中で星居(ほしのこ)山への林道が合流してくるが、それ以外は一本道。



 林の中から抜け出て、人家が前方に見えてくると、ほどなく阿下の集落に着く。ここで阿下川沿いに続く県道三和油木線と交差するが、帝釈峡井関線は小畠の集落を目指して直進し、またしても峠へと登っていく。



 小畠へ向けての峠道も、沿道に民家はおろか、人の気配を感じさせるものは道路以外にないという、何とも寂しい道が続く。



 峠からの下りの区間は、比較的カーブが少なく、見通しのよい道となっている。道路の右手にある大きなため池の横を通り過ぎる。



 道の左手に水田が見えてくると、小畠の集落ももうすぐ、その先で民家も見えてくる。旧小畠中学校の校舎、そして神石高原町役場の横を通る。



 家々の間をすり抜けるように続く1車線幅の道が信号のある小畠交差点に出たところで、県道吉舎油木線と交差する。ここでようやく長かった未改良区間も終わりとなる。


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