一般県道下門田泉吉田線・高野〜君田

 県道下門田泉吉田線は、庄原市高野町で県道三次高野線より分かれ、高暮ダム・神之瀬峡と神野瀬川に沿って下り、三次市君田町で再び三次高野線に合流する県道。



 県道三次高野線から分かれて、しばらくの間は改良済みの道が続いている。神野瀬川沿いの平地に水田と民家の点在する中を進んでいく。



 神野瀬川を渡る橋(灰山橋)を新たに建設中の箇所では、民家の前で左折し、市道の橋を通って対岸の在来の県道へと渡る。


 橋の取付の区間だけに残る未改良区間を抜けると、切り通しから先は神野瀬川の左岸に改良済みの道路が続いているが、右岸に廃校となった高暮小学校の建物を利用したふるさと高暮という宿泊施設が建っているところで、改良済みの区間は終わり。ここから先は、未改良区間へと入っていくこととなる。



 神野瀬川が作った川沿いのわずかな平地に水田を右手に見ながら、蛇行する川に沿って、山裾に1車線幅の道が続いている。



 対岸にある指谷という集落へと続く市道が右手へ橋で別れていった先、次第に人の気配が感じられない寂しい道となってくる。空き家の前で分かれ道があるが、「←君田」と方向が県道となっている。




 さらに林道との分かれを過ぎ、竹やぶと雑木林の中を抜けると、いきなり赤く塗られたアーチ橋・藤渕橋が右手前方に見える。なんとも前後の道と不釣合いな立派な橋で、この橋を架けるために必要となる鋼材などの資材をどうやってここまで運んだのか不思議。藤渕橋の手前には高野側で最後の民家があり、橋を挟んだ区間だけがわずかながら改良されている。



 藤渕橋を渡った先、道路の左手は高暮ダムが堰き止めた湖、神之瀬湖だが、湖岸近くを通っていないため、湖の様子はあまりよく見えない。右手は国有林との看板があり、森林管理署による災害対策工事が行われていた。



 シイタケ栽培のためのホダ木が林の中に置かれている箇所を通り過ぎた先、右手の山の斜面が急になり、その山の斜面に押し出されるように湖岸近くへと移る。湖側には転落防止のためのガードレールが続いている。



 道路左手の緩やかな斜面を埋め立てて造成したと思われる空き地は、雑草に覆われているが、一部は工事のヤードとして使用されており、重機や資材が置かれている。



 右手の山からダム湖へと注ぐ沢を短い橋で渡った先は、カーブが比較的少なく、単調な感じの道が続いている。



 カーブミラーの先で左手へと分かれる道があり、その道を入っていくと、神之瀬湖の中へつき出た林の先に湖を望むあずまやがある。そのカーブのすぐ先では、建設中の林道横谷高暮線が右手へと分かれている。林道名にある「横谷」とは、三次市布野町横谷。




 災害により崩れたと思われる法面を復旧した箇所から、前方に初めてダムの堰堤が見えてくる。その先まず、道路の左側の空き地に、朝鮮人犠牲者の慰霊碑がある。ほどなく、ダム管理のための施設が建ち並ぶほか、殉職者の慰霊碑、ダムの説明板などがある高暮ダムの堰堤に到着する。
 高暮ダムは、昭和15年に着工し、昭和24年に竣工した、中国電力が管理する発電用のダムで、有効貯水量は3,585万トンあまり。かつては広島県内でもっとも大きなダムであった。



 高暮ダムの堰堤を過ぎると、湖岸の平坦な道路から、下りの坂道へと変わる。途中、高暮ダムの堰堤の姿が道路の左手はるか奥に見える。



 木漏れ日が射す坂道を下っていくと、沢に架かっている古びた橋のたもとに市境を示す標識が建っており、庄原市から三次市へと入る。



 三次市に入ると、神野瀬川の谷に続く断崖絶壁の途中に道路が付けられており、ここから落ちたらひとたまりもなさそうな感じ。



 山から出てくる小さな沢を過ぎた先、道路の左手下へと下りる未舗装の道があり、一軒の廃屋と結構な広さの休耕田が広がっている。かつては、この山中で暮らしていた人がいたようだ。



 沢を渡るところ、ガードレールの陰に「小庵(こいおり)の滝」の案内看板があり、奥へと入る遊歩道がある。


 道路左側が広くなっているのでそこに車を止めて、階段の続く遊歩道を歩くこと5分、うっそうと茂る木立の中から小庵の滝が見えてくる。
 小庵の滝は、落差30mほど、4段の美しい滝である。




 坂道を下っていくにつれて、左手を流れる神野瀬川の水音が次第に近くなり、高暮ダムの上流で離れて以来、再び川面のそばへと出てくる。ここからは、川の中に数々の奇岩・巨岩が見られる神之瀬峡と並行して、進んでいくこととなる。清らかな水が流れる川には、ニジマスやヤマメなどの姿が見られるほか、川底からは炭酸泉が噴出しているところもあるそうである。



 緩やかに曲がり、弧を描く神野瀬川の流れに沿っており、一車線ながら見通しのよい道が続く。川の中に橋脚だけが残っている橋の横を通り過ぎると、あずまやとトイレが整備され、植樹がされた広場がある、茗荷谷の集落跡に着く。


 広場の反対側、道路左手の川の近くの空き地には、古い祠が残っており、大正十四年十一月八日と刻まれた、お地蔵さんが柱の横に立てかけられていた。住む人のいなくなった茗荷谷を、お地蔵さんは今も見守り続けている。



 川へとせり出した岩をくりぬいた形の茗荷谷隧道は、この県道中の唯一のトンネル。右手の山は国有林となっており、道路敷は国有林の一部を借り受けている表示板が法面を覆う落石防止網に取り付けられている。



 道路右手の林の中にサイト、トイレや炊事場が整備されている神之瀬峡キャンプ場がある。キャンプ場の前の河原は、蛇行した川の内カーブにあり、河原の水際まで歩いて下りることが出来る。夏には河原の浅瀬で水遊びをしている人の姿もある。


 ゴツゴツとした岩が露出した高い崖が道路のすぐ横にそびえ立っている。今すぐここから岩が落ちてくることは考えにくいが、何千年・何万年という長い年月のうちにはこの崖からも岩が転がり落ち、そうした岩が川の中に鎮座しているのであろう。



 前方左手、川の左岸に、高暮ダムの水を受けて発電を行っている、神野瀬発電所の建物が見えてくる。神野瀬橋を渡ると、神野瀬ふれあいプラザと表札のかかった集会所風の建物と駐車場、備北交通の神野瀬バス停があり、その先からは水田や畑と、点在する民家もあり、人々が暮らしている集落へと入っていく。



 平成18年に新しく架けられた紅葉橋と沓ヶ原大橋の2本の橋で、神野瀬川の左岸を通っていた旧道を一気にショートカットする。




 昭和17年に竣工した沓ヶ原ダムの堰堤の前後に、未改良部分が残っているものの、延長は短く、数年のうちにこの区間も改良されそうな感じを受ける。このダムも中国電力の発電用のダムで、下流の君田発電所まで水を送って発電している。



 神野瀬川が右へと蛇行し、急な山の斜面が迫ってきたところで、最後の未改良区間へと入る。



 その未改良区間もほどなく終わり、中野原という集落へと入る。ここから先は改良済みの快適な道路が、県道三次高野線に合流するまで続いている。


 なお、県道下門田泉吉田線の終点、三次高野線との交差点横には、道の駅ふぉレスト君田がある。ここには、美人湯として有名な君田温泉・森の泉のほか、お食事処、特産品の販売所、コテージなどもあり、多くの人で賑わっている。


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