国道432号線・粟石峠



 <現在の道>
 庄原市総領町と庄原市春田町の間に位置する粟石峠の下を貫く、粟石トンネル。昭和48年に開通しており、延長は661m。粟石トンネル開通時は国道に昇格する前で、主要地方道福山庄原線という路線だった。



 上市交差点で、国道432号線は右へと折れて、粟石トンネルへと向かうが、粟石峠への旧道はこの交差点を直進し、田総川に沿って西へと進む。




 現在は県道三良坂総領線として利用されている道路沿いに、家々が続く下市の街並み。県道が左へと曲り三良坂方面へ進む交差点を直進する狭い道が、粟石峠へと続く道である。交差点の手前にある酒屋さんの軒下にある中国バスのバス停は「三良坂別」という名前で、かつては粟石峠へと直進する道のほうが、主の道路であったことを示す名前だ。




 三良坂別れの交差点を直進したあと、粟石峠への旧道は大きく方向を変え、東へと進むかたちとなる。錆び付いたカーブ注意の標識がある大カーブで、国土地理院の地形図に粟石峠へと続く山道が続いている沢から離れると、上りの峠道となってくる。




 先ほど通った田総川沿いに続く下市の街並みの北側斜面の中腹あたりを、等高線に沿うような形で道は続いている。カーブの続く狭い道ということで事故も多かっただろう、道路のほとりに建てられた「安全第一左側通行」と刻まれた標柱が雑草の中に半ば埋もれるような形で残っていた。



 小さな沢の奥にある、水道の取水施設の前を過ぎると、急傾斜地対策事業として法枠と擁壁が施工された斜面の下を通る。



 道路右側に続いていた木々が姿を消し、前方の視界が大きく開ける。眼下には、田総川の右岸に上市交差点から東へと続く総領町上市の家々などが見える。



 山の斜面を削って施された法面崩壊防止のためのモルタル吹付が終わった先からは、路面の状態が急に悪くなり、わだちの部分のみ路面が見える状態となっている。わだちの部分以外は、雑草が生えていたり、落ち葉が積もっており、凸凹も多い。



 道路標識やガードレールもすっかり古びてしまい、錆だらけとなっている。山の急斜面にへばりつくように付けられた道だが、ガードレールのない箇所も多い。




 粟石トンネルへと続く現道を、道路右側の路肩のはるか下に垣間見ながら旧道は進んでいく。途中から、急斜面を伝って登ってきた電線が現れ、電柱が旧道沿いに続くようになる。



 旧総領町と旧庄原市の市町境は粟石峠への上りの途中で、そこには、今も古びた境界標識が残されている。



 旧庄原市へと入っても坂道が続いており、杉の木立の中を抜けたところでようやく粟石峠の頂上にたどり着く。



 粟石峠の頂上を過ぎると、峠の南側の断崖絶壁とは対照的に、緩やかな傾斜の谷あいに民家が点在しており、田んぼや畑も広がるのどかな風景となっている。



 谷あいから離れて、再び山の斜面の中にカーブを交えながら、緩やかに標高を下げていく。道路を走る車の音が近くなってきたかと思うと、進行方向前方に民家が見えてくる。



 粟石トンネルへと登る現道のすぐそばを下っていき、下り坂が終わったところには、現道をくぐるボックスカルバートがある。



 そのボックスカルバートを通って反対側の山すそへと出て、数軒の民家の前を通ったあと、左手から近づいてきた現道と合流したところで、粟石峠を挟んで続いてきた旧道は終わりとなる。


 なお、庄原側の国道を登りつめたところ、粟石トンネルの庄原側坑口の左手すぐのところには、雪沢の滝という名前の滝がある。この滝は、芸藩通志に名勝として記載されており、昭和30年代までは病気の治癒を願って滝に打たれる人も訪れていたそうだが、今では忘れ去られ、地元でもこの滝を知っている人は少なくなっている。ちなみに私が訪れたときは、岩肌を濡らす程度の水しか流れておらず、倒木などが視界を遮っており、壮観な滝の眺めを楽しむことは出来なかった。


 総領に戻って、上市交差点から東へと行った、国道432号線と県道甲山甲奴上市線旧道との交差点脇に建つ掲示板の裏には、道標の古い石柱が残っており、「東 とうじやう たいしやく 西 三よし みらさか 南 をのみち みわら 北 さいじやう しやうばら」と行先が刻まれいている。この交差点は、昔の道の四辻だったようだ。



 その道標を北へと進むと、人が歩けるほど幅の小道が民家の裏手の山の斜面に続いている。そして森藤川沿いに下りて、古い小さな土橋で渓流を渡った先からは、林道に取り込まれてしまい、昔の道がどう続いていたのかはよく分からなくなっている。


 このページの作成にあたり、参考とした文献等
  総領町誌 総領町
  ふるさとの峠と街道 菁文社
  平成17年2月12日付け中国新聞


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