国道432号線・王居峠



 <現在の道>
 庄原市比和町・高野町の境に位置する王居峠(おいだわ・または、おいだお)。王居峠大橋と王居峠トンネル(延長345m)を含むバイパスは、平成9年に開通している。なお、王居峠大橋には、地中熱を利用して路面の雪を融かす融雪システムが設置されている。




 庄原市役所比和支所がある庄原市比和町の中心部を過ぎ、比和川に沿って国道432号線を一路北へと進んでいくと、正面に吾妻山が見えてくる。川沿いの平坦な道が終わり、緩やかに左へカーブして続く坂道が王居峠へのバイパスで、坂道への入りがけで右へと分かれている1車線幅の道が旧道。旧道はバイパスの下を進んでいき、国道から分かれた前方の県道比婆山公園森脇線へと取り付けられた坂道を登る。



 県道へ出た先すぐのところに山王バス停と酒屋さんがあり、その手前を左手へと分かれる道が王居峠への旧道の続きである。バイパス工事に伴って交差点付近も改良されたため、直進の方向が県道に作り変えられている。



 ログハウス風の待合所が建てられている山王バス停には、吾妻山登山口と書かれた看板が掛かっており、待合所の中にはこの近所の家々の新聞受けが設置されている。また、酒屋さんの隣にある森脇簡易郵便局は、白いペンキで塗られたなかなか古そうな木造の局舎が印象的である。



 左手の山に沿って、右手下を流れる川よりも一段高いところにつけられた旧道を進んでいくと、前方高いところにバイパスの王居峠大橋が見えてきて、その下をくぐる。川の対岸にある道とを結ぶ道との交差点をまっすぐ進む、やや荒れた感じの道が旧道。



 右手を流れている小さな川に沿って進んだ旧道は、その川を渡るところで大きく進行方向を変える。




 今度は山の等高線に沿って反時計回りに大きく回りこむような形で、王居峠の頂上へと向けて登っていく。1車線から1.5車線幅の道が続いており、冬の積雪時の通行は、大変な苦労があったのではないかと思われる。



 旧道の路肩に生い茂る熊笹のはるか先に、王居峠トンネルへと向けて登っていくバイパスの姿が見える。トンネルで峠を通過するバイパスの上を通り、切り通しとなっている王居峠の頂上へほどなく到着。


 王居峠の頂上は、合併によりともに庄原市となった、比和町と高野町の町境となっている。
 なお、王居峠とは、日本の「王」である天皇に関係する地名で、承久の乱後、幕府により隠岐へと流され、そこで幽閉のあと没した後鳥羽上皇が立ち寄ったとの伝説から、この峠の名前が付けられたそうで、国道432号線をこの先進んだ広島・島根県境にある、王貫峠もまた、同じ由来である。
 しかし、鎌倉幕府の歴史書・吾妻鏡には、後鳥羽上皇は美作と伯耆の国境を越えて、隠岐へと着いた記録されており、美作・伯耆地方にも後鳥羽上皇が隠岐へ流されるときに立ち寄ったと言い伝えられる場所が各地にある。


 王居峠の頂上を過ぎた先、左手の山すそには、後鳥羽上皇が立ち寄った跡に祭神を祭ったと伝えられている、峠の名前を冠した王居峠神社という神社があり、社叢は庄原市の天然記念物に指定されている。


 また、神社の手前には古びた辻堂が残っており、王居峠を徒歩で人々が行き交っていた時代に、ここで休憩していた姿が偲ばれる。



 高野町側は片側1車線の改良済みの道路となっており、神野瀬川に沿って開けた盆地に広がる水田の中を進んでいく。左手から、トンネルから出てきたバイパスが近付いてきて、県道奥出雲高野線との交差点の先で、旧道の区間は終わり。



 なお、旧道が出来る前の旧々道は、旧道と川を挟んだ反対側の斜面をほぼまっすぐに王居峠の頂上へと続いており、旧道の開通後も人々の往来が主に徒歩が行われていた頃までは、距離の短い旧々道も使われていたそうだ。その旧々道へは、森脇簡易郵便局の先を左へと曲がる。


 道路右側のブロック積の中に作られた小段には、石碑とお地蔵さんが置かれている。その石碑の中の一つには、「嘉永六年 王居峠道替」のほか、世話人などの名前が刻まれており、この年に王居峠を越える道が付け替えられたことを今に伝えている。なお、嘉永六年は江戸時代末期の1853年にあたる。



 川の対岸に旧道を見ながら道なりに進んでいくと、その旧道とを連絡する道が付けられており、そこから先はバイパスの工事用道路として使われたのであろうか、道幅がやや広くなっている。



 やや急な坂道を登っていった先の大カーブのところを、直進して王居峠の頂上へと続く山道が国土地理院の地形図には書かれているものの、カーブの先はヤブと化しており、その先へは進めそうになかったため、残念ながら旧々道を辿ることはここで断念した。


 このページの作成にあたり、参考とした文献等
  ふるさとの峠と街道 菁文社
  ふるさとの道と民俗 菁文社


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