旧山陽道・広島岡山県境




 <現在の道>
 岡山県井原市から、岡山・広島県境を越えて福山市へ至る国道313号線は、かつての山陽道、明治・大正期の国道2号線とも一致する旧道の南側を通っている。国道の南側には、平成11年1月に開業した井原鉄道の高架が並行しているのに加えて、さらに南側には、国道313号線の神辺バイパスが建設中。



 岡山県側では、井原市中心部から改良工事が進められており、片側2車線の国道へと姿を変えてきている。西へとほぼまっすぐに続いてきた国道は、井原市下出部町で左へカーブし、高屋バイパスに続くように向きを変える。
 この辺りは区画整理によって、以前からの街並みが変わっており、区画整理前には山陽道の大曲と呼ばれていた2箇所の大きな直角の曲がりがあったが姿を消している。また、国道313号線の一部も付け替えられており、高屋川を渡る高屋大橋西側の信号交差点に、以前は直進していた国道の一部が残っている。


 国道北側の住宅地の中を西へと続く道が旧山陽道にあたり、途中、備中大橋跡と刻まれた石碑が畑の隅に建っている。




 山すそに沿うように進んで、高屋川沿いにいったん出たあと、後月橋という名前の橋で高屋川を渡って、山陽道の宿場町として栄えた高屋の街並みへと入っていく。街並みの中には、歴史を感じさせる白壁の建物も残っている。
 山田耕作が編曲して発表した「中国地方の子守唄」のもととなった子守唄は、昔から高屋で歌い継がれてきたもので、井原鉄道の駅名も「子守唄の里高屋」となっている。



 高屋の街並みを抜けて、旧山陽道は岡山県と広島県の県境を越える。県境には、両県の道路元標からの距離を刻んだ境界標の石柱が建っている。表面には、「廣島縣距 廣島細工町元標參拾里貮拾八間參尺九寸 岡山縣距 岡山橋本町元標拾參里貮拾七町參拾六間 管轄境界標」と刻まれており、他の面には旧山陽道の宿場までの距離が刻まれている。もともとこの石柱は大正8年に建てられたが、現在は事故により平成17年に建て替えられた新しい石柱が現地にある。




 県境から先、広島県側はほぼ直線状に道が続いているが、この道は大正15年に新しく作られたものであり、それまでの道は右手にある金光教芸備教会の境内となっているところを通って、山すそに沿って進むルートを取っていた。金光教の境内を抜けた先には、かつての道が残っており、その経緯を刻んだ縣道改修碑という石碑が境内の隅に建っている。




 田畑と民家が混在する中を、右手にある山に沿うように西へと進んでいく。道路沿いにある神社の前に建っている常夜灯は、寛政年間に建てられたと刻まれており、もう二百年以上ここに建っていることになる。




 上御領一里塚跡には、道路の南側に旧山陽道一里塚跡と、菅茶山が詠んだ「高屋途中」という題の漢詩を刻んだ二つの石碑が並んであり、道路の北側には旧山陽道を行き交う人々が休憩所として利用した、四ツ堂がある。



 一里塚跡を過ぎたあと、池の手前で旧山陽道は左へ曲がって進行方向を変え、一里塚交差点で国道313号線といったん合流する。



 その先、国道の南側に左へと分かれている一車線幅の道が旧山陽道であるが、再び国道の方へ近づいていき、国道を渡って北側へと戻る。



 製粉会社の工場の先の交差点の脇には、外ヶ島弥五郎という寛政9年に亡くなった相撲取りの墓などが建っている。



 道の両側に建ち並んだ民家の間を西へと旧山陽道は続いている。御領山にある八丈岩への登山口にも立派な石造りの常夜灯が建っている。八丈岩には鬼の伝説が伝わっているそうだ。




 旧山陽道右側の山の中腹にある神社へと続く急な石の階段を登ってみると、眼下には高屋川沿いの平野に広がる水田の中に家々が点在する御領の風景が広がっている。真ん中あたりに見える高架橋は井原鉄道の高架橋で、その手前に見える道路が国道313号線である。




 道が二股に分かれる箇所では、左へと進むほうが旧山陽道。右へと分かれる道は国分寺へと続いており、分かれた先の石柱の下に、国分寺と刻まれた小さな石碑がある。民家の中をほぼまっすぐに続く旧山陽道の左側に、これまた古い常夜灯があり、嘉永2年と刻まれているので、この常夜灯が建てられてから150年あまり経過していることになる。
 ちょうどこの写真を撮っているときに、近所のおじさんが来て、昭和30年代に現在の国道にあたる道が出来るまでは、この道が井原から福山へ至る道として利用されており、この狭い道に路線バスも走っていましたよ、と昔話を聞かせてくれた。




 県道下御領新市線と斜めに交わる交差点は五差路となっていて、国分寺に続く松並木の参道が北へと分かれている。参道の両側一帯には東西180mにわたって、741年にこの地に建てられた備後国分寺があったことが発掘調査により明らかになっている。


 なお、先ほどの交差点に建っていた道標の石柱は、現在は国分寺の東側にある神社の境内の一角にて保存されている。「左九州 をうくわん 右石州 ぎんざん道」と刻まれているのが分かる。



 交差点に建つ商店の左横を通り過ぎ、堂々川という砂防河川の土手に上がっていく。堂々川は晴れた日はほとんど水が流れておらず、また周囲の土地よりも河床のほうが高い天井川となっている。



 堂々川の土手を進んでいくと、左手下から国道313号線が近づいてきて、旧山陽道と合流する。その先に、国道486号線が分かれる湯野口交差点があり、国道313号線は旧山陽道を取り込んで、神辺へと向けて南へ続いている。湯野口交差点から東へ向かう道路を作る工事が行われているが、これは国道313号線の神辺バイパスの工事である。

 このページの作成にあたり、参考とした文献等
  街道探索・福山藩の山陽道 東山欣之助
  


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