旧浦辺道・宇井坂峠



 <現在の道>
 宇井坂峠(または生坂峠)の南側の山は採石場となっており、半分あまりが削り取られている。明治20年頃、その山裾を流れる高野川沿いに、現在の県道内海三津線にあたる道が開設された。現在は上下1車線の改良された道となっており、その道を車は難なく通っていく。




 県道内海三津線が呉市安浦町から市境を越えて東広島市安芸津町へ入った先、大田という集落にさしかかったところで、左へと別れる市道との分岐に、「首なし地蔵 ←500m」の案内標識が建っている。標識に従い市道へと入り、亀山神社という神社の下を通ったあと、短い橋を渡り、突き当たりの交差点を左へと曲がる。



 火の見櫓と消防団の車庫がある四つ角をまっすぐ直進する道が、宇井坂峠へと続く道。消防団の車庫の横には、ここ大田の集落から大阪へ出て成功し、集落のさまざまな施設に寄付をした、中原さんという人を称える石碑も建っている。




 初めは緩やかだった峠へ続く坂道は、家が途切れた先で勾配を増し、急な坂道をなっていく。
 途中、ため池のほとりには、「左ハひろしまゑ 右ハ四日市道」と刻まれた道しるべが建っており、左手の山沿いに分かれていく道がある。四日市は、旧山陽道の宿場町、現在の東広島市西条町のことで、昔はここから西条へと続く道が分かれていた。



 ため池の先、墓地と地蔵堂があるところが、宇井坂峠の頂上。今は静まりかえっている宇井坂峠だが、現在の県道が出来るまでは往来する人も多く、茶店もここにあったそうだ。
 地蔵堂の中に納められている首なし地蔵は、東広島市の重要文化財に指定されている。平家の武士・藤原景清が武運を占うため試し斬りをしたと伝えられており、地蔵堂には、「藤原景清建立 首無地蔵堂 文治元年(一一八五年)」と書かれた札が掛かっている。毎年8月には首なし地蔵の祭りがあるそうだ。


 宇井坂峠からの下り道は、前方に三津湾と安芸津(三津)の街並みが見える。ちなみに、安芸津という地名は、昭和18年に旧三津町と旧早田原村・木谷村が合併した際に、安芸国の良い港という意味をこめて付けられた町名で、もとからの地名は三津。



 坂道を下っていくと、ちょうど舗装がアスファルトからコンクリートに変わるあたりに、ブロック積に沿う形で左へと分かれて続く未舗装の小道があり、この道は昔の街道の名残を今もとどめている。



 雑木林や竹やぶの中を緩やかな下りの坂道が続いている。道沿いのところどころには、古い苔生した石積みも残っている。



 途中からはかなり古びているものの、舗装されている区間もある。進行方向前方が明るくなり、開けたかと思うと、雑木林の中から出る。



 民家の横を通り抜け、市道と合流し、ため池の横の交差点で、高野川沿いに続いている県道に合流する。


 このページの作成にあたり、参考とした文献等
  広島県文化百選5・道編 中国新聞社
  あきつねっと・あきつ歴史のさんぽみち


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