一般県道庄原新市線・盤之谷峠



 <現在の道>
 昭和53年に開通した、国道432号線盤之谷バイパス。(開通当時は主要地方道庄原新市線で、昭和57年に国道に昇格している。)
 もっとも、純粋にバイパスとして作られたのは、庄原市川北町田の平の旧道分岐から須川大橋北詰までの田の平トンネル(右の写真)を含む3km足らずの区間で、須川大橋から北については、比和川沿いの県道木屋原庄原線(現・県道川北七塚線)を改良し、国道に編入している。



 現道である盤之谷バイパスと盤之谷峠へと続く旧道との分岐には、案内標識が建っている。旧道は現在、一般県道庄原新市線となっており、旧道の方の矢印には路線番号467が記されている。旧道へ入って少しの間は道路沿いに民家が点在しているが、ほどなく民家もなくなり、改良済みの区間も終わる。



 道幅1.5車線ほどの道が、山の中腹を左右にカーブを切りながら登っていく。



 途中、勝光山というろうせきの採掘所への未舗装の道が右へと分かれて、谷の底部へと下りて行く。


 左手へ市道が分かれた少し先、道路左側の苔生した雑石積の上に小さなお地蔵さんが置かれており、「明治四十四年七月十五日 施主 加藤六平」と刻まれている。盤之谷峠を行き交う車や人々を見つめ続けてきたこのお地蔵さんは、静かになった今の道をどう思っているだろうか。



 谷側に続くガードレールは、かつて、庄原と比和・高野を結ぶ幹線道路で、交通量もあった頃の名残だろう。


 深い谷を作っていた道路の右手下を流れていた川は、峠道を登っていくにつれ、小さな支流となっていく。山の頂上近くで、購買も緩やかな支流を道路が横切るところに、ぽつんと一軒の民家があり、水田もある。



 民家を過ぎると、再びもとの何もない静かな峠道が、今度は谷の右側斜面に続いている。



 等高線にあわせるようにカーブが続いた道が直線状の道になると、盤之谷峠の頂上は近い。頂上付近は意外にも高原のようななだらかな地形で、左手にリンゴ畑、右の山手には家畜を飼っている厩舎などが建っている。



 標高585m、盤之谷峠の頂上が庄原市と旧比和町の市町境で、古びた町界標識などが建っている。市町境を挟んで数軒の民家があるものの空き家のようで、人の気配は感じられない。最盛期には峠の頂上に5軒もの茶店があったそうだが、その茶店を営んでいた人がいた名残だろうか。



 比和町側の下りは、峠南側の上りよりも道幅が狭く、ヘアピンカーブもある勾配の急な坂道が続いている。



 途中、熊笹で覆われた斜面の下にトタン屋根の廃屋があり、そこから電柱は谷に沿って下りている。(地形図では小道が分かれて記されているが、どこだかはよく判らなかった。)



 峠の頂上から坂道を下っていき、前方が開けると、眼下に川沿いに広がる水田と、点在する家々が見えてくる。



 数軒の民家が建っている、比和町側最初の集落である山川という小集落を通り過ぎ、杉の木立の中を通る。


 杉の木立を通り抜けると、絞り川という名前の川の川筋に下りてくる。川に架かる短い橋を渡る手前の家には、古びた看板類が残っており、商店だったようだが、今はもう営業していない。


 また、その民家の軒先には、以前この道を通っていた備北交通のバスの三軒町停留所の看板が置かれていた。(庄原〜比和・高野を結ぶバスは、バイパス開通後もしばらく盤之谷峠経由のバスが残っていたが、現在は全てバイパス経由となっている。)



 三河内へと続く市道との交差点には、立派な石造りの常夜灯があり(昭和 4年建立・ただし、移築されている様子)、盤之谷峠の道標として建てられたのではないかと思われる。交差点を左折し、川沿いの改良された道を西進すると、国道432号線に合流する。


 このページの作成にあたり、参考とした文献等
  ふるさとの峠と街道 菁文社


戻る