主要地方道音戸倉橋線・宇和木峠



 <現在の道>
 倉橋島の中西岸に位置する呉市倉橋町宇和木地区と南岸の本浦地区の間には、峠越えとなる宇和木峠があり、
 交通の難所となっていた。
 平成7年7月、宇和木トンネル(延長820m)を含むバイパスの開通により、宇和木峠越えの難所は解消した。



 呉市倉橋町に入って最初の集落である釣士田(りょうしだ)を過ぎ、次の集落である宇和木へと入る。
 県道音戸倉橋線から県道倉橋大向釣士田港線が右手へ分かれた交差点のすぐ先に、本浦方面への県道と倉橋グラウンドへ
 向かう旧道との交差点の案内標識が建っている。
 大白明川を渡る手前の信号のある宇和木交差点を左折し、川沿いに続く道が宇和木峠への旧道。



 宇和木峠を越える車が往来していた旧道沿いの家並みは、今ではひっそりと静まり返っている。
 家並みを抜け、集落の南はずれにある上水道の施設の先には民家は見られず、谷間に段々畑があるのみである。
 



 道沿いに畑の続く中を走っていると、旧道左手に石造りの祠
 が置かれている大きな岩がある。


 旧道沿いに今も残るコカコーラや安全標語などの看板類は、
 かつては倉橋町の住民はもちろん、海水浴場などへの行楽
 客がこの峠道を通り、交通量が多かったときの名残だろう。
 旧道沿いにある田畑もこの辺りまでで、ここから先は両側が
 雑木林の山の中となる。




 途中、左手の山へと続く工事中の林道が分かれているほかは、山の木々と道路、そして道沿いに続く電柱だけしかない、単調
 な風景が続く。
 旧道の幅員は1.5車線分ほどあり、ほとんど車が通らない現在では、難なく走ることが出来る。




 道路の左手前方に、コンクリート造りの上水道のタンクが見えてくると、
 ほどなく宇和木峠の頂上へ到着。
 宇和木峠の頂上はかなり切り下げられており、両側に苔生したモルタル吹付
 の法面がそびえたっている。
 峠の頂上には、地元のライオンズクラブが建てた看板があり、宇和木と本浦
 の境になっているようだ。


 宇和木峠の頂上からすぐ南側に、倉橋グラウンドへと続く道
 が右へと分かれており、そこから少し下ったところには、火
 山へと続く遊歩道が左手へと分かれている。
 遊歩道沿いには、四国八十八ヶ所霊場巡りにちなんで江戸
 時代中期に造られた、倉橋八十八ヶ所の石仏が置かれて
 おり、旧道から倉橋グラウンドが分かれるところの角には、
 道路工事で移転を余儀なくされたためか、32番から37番ま
 での石仏が一箇所にまとめて置かれている。



 呉市役所の倉橋支所がある、呉市倉橋町の中心部・本浦へ向けての下りは、峠の北側よりも急な勾配となっており、大きなヘア
 ピンカーブが2ヶ所ある。
 前方には、今から下りていく、南に開けた湾に面した本浦地区の家々が見える。


 センターラインの残る直線の下り区間には、県道の路線番号
 標識がいまだに残されていた。



 2つ目のヘアピンカーブを過ぎた先、左手下へと分かれるコンクリート舗装の狭い道が分かれており、旧々道のような感じに
 も見える。


 宇和木トンネルから出てきたバイパスの上を新しく架けられ
 た陸橋で渡る。
 トンネルが出来る前は、山の等高線に合わせるような形で、
 右手に大きく回りこんでいたようで、陸橋のたもとには、古い
 舗装道が残っている。



 旧道とバイパスの交差点付近は、修景美化のために植樹がされており、交差点の手前にはあずまやのほかに、宇和木トンネル
 の地質断面図や工事で出た岩石のサンプルといった説明資料が設置されている。
 また、交差点のすぐ横には、開通記念の石碑も置かれている。



 いったんバイパスと合流したあと、すぐに旧道は左へと分かれて、バイパスのすぐ東側をほぼ並行するような形で下っていく。



 消防署の出張所の前で、旧道とバイパスは再度合流し、ここで宇和木峠のバイパスとして整備された区間も終わり。
 この先、海岸沿いに出るまでの間は、旧道と同じような1.5車線幅の道となっている。


 この先にある桂浜は、日本の渚百選や白砂青松百選にも選
 ばれており、古くは万葉集にも詠まれている。
 桂浜には海水浴場のほかに、くらはし桂浜温泉館、桂浜神社
 (国重要文化財)、長門の造船歴史館などがある。


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