その18.広島市東区にて

 広島市東区戸坂の山手に「戸坂長尾台」という地名を発見。


 県道府中祗園線を戸坂交番の前で、西へと曲がり、桜ヶ丘団地の中を通り抜け、牛田山の山腹を登っていくと、幼稚園の先からが、「戸坂長尾台」である。牛田山北側の高台を造成して作られた分譲地に新しい住宅が建っている。
 もともとここは、長尾山という山で、江戸時代は広島藩が所有する「御建山」だった。また、長尾山の尾根には、広島市最大規模の前方後円墳などの古墳からなる長尾古墳群(広島市指定遺跡)や、弥生時代の住居跡が発見された長尾遺跡という名前の遺跡もあり、有史以前から人々の生活の舞台であったようだ。


 滑り台とベンチがある戸坂長尾台第一公園。長尾台の中には、もう一つ、墓地の入り口の上に、戸坂長尾台第二公園があった。



 墓地の入り口の上、戸坂長尾台第二公園の道を挟んだ反対側にある、広島市水道局の戸坂長尾台第二調整池。第二調整池の名前から分かるかもしれないが、もう一つ、戸坂長尾台第一調整池があった。



 家が建ち並ぶ分譲地を抜け、墓地の前を通り過ぎてさらに登った先は、バリケードで道路がふさがれているので、ここで引き返す。横には更地でまだ何もない造成地が広がっている。



 造成地からは、東区戸坂と、その奥には太田川の両岸に広がる安佐南区・安佐北区の街並みを眺めることが出来る。写真中央に写っている小さな林が長尾古墳群、そこから長尾台が造成される前には尾根が続いており,長尾遺跡群はその尾根の中にあったそうだ。


 このページを作るにあたり、参考としたホームページ
  ひろしま昔探検ネット,広島市立戸坂城山小学校・戸坂の歴史


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