一般県道津江八本松線・笹ヶ峠



 県道津江八本松線は、東広島市黒瀬町津江から、広島市安芸区阿戸町を経て、東広島市八本松町原へ至る県道。このうち、起点の黒瀬町津江から安芸郡熊野町の笹ヶ峠を挟んだ区間は、車両通行不能区間となっている。
 県道矢野安浦線から県道津江八本松線が分かれる交差点には、交差道路の路線番号を示す案内標識が建てられている。



 県道津江八本松線へと入ったところでは、熊野〜黒瀬間の県道矢野安浦線バイパス工事が進められており、工事が進んでいけば、今の県道はパイパスの盛土の下になるようだ。1車線幅の道路の路肩に建つ、「この先通り抜けできません」と書かれた予告標識も、そのうち移設されそうなようす。



 この辺りはイラスケという変わった地名が付いている。その地名を冠したイラスケ川に沿って、県道は緩やかな坂道で続いており、川を堰き止めた農業用のため池のほとりへ出る。




 ため池の先には、両側にガードレールの設置された舗装路が続いているが、ほどなくガードレールで封鎖されており、その先へは車では入れない。封鎖された先にはコンクリートの方塊が置かれており、そこで舗装が途切れてしまっている。


 国土地理院の地形図では、このあたり一帯は畑があるように記されているが、実際は耕作が放棄されたのか、荒地が広がっているのみである。先ほどの車道を塞ぐガードレールの手前に、ガードレールの途切れているところから左へと下りれるように小道がつけられているので、そこへ入っていく。




 荒地の中を直線状に背丈の低い草しか生えていない小道が奥へと続いている。しかし、この道は200mほど先で切りかけの山の斜面に突き当たったところで途切れてしまう。(上段右の写真)
 この小道へ入ってほどなく、左手から流れてくる沢があり、火の用心と書かれた札が吊り下げられている。沢沿いには人が歩けるだけの幅の山道が続いており、この道が笹ヶ峠へと続く道となっている。



 前方の小高い丘の中腹あたりにそびえ立つ高圧線の鉄塔へと向けて道が続いており、斜面につけられたかなり急な道を登っていく。



 周りの雑木が切り払われた山の斜面に鉄塔が建てられており、鉄塔のすぐ横を通り過ぎると、その先は下りの坂道となる。



 坂道を下っていき、わずかばかりの水が流れている沢を渡る。そこから先はその沢に沿って緩やかな勾配で峠の頂上へと向けて登っていく。鉄塔前後の区間は道幅や勾配が沢沿いの道とは異なるので、昔はおそらく別ルートで道があったと思われるが、今となっては藪に埋もれてそれもどこだか分からなくなっている。



 松や雑木に混じって、植林されたと思われる杉の木も生えているが、手入れがほとんどなされていないようで荒れている。秋は入山禁止の札もあったが、こんな荒れた山にマツタケが出るのだろうか。



 林の中に続く坂道を登りつめていき、進行方向の前方が明るくなったところで、笹ヶ峠の頂上にたどり着く。



 笹ヶ峠の頂上は、広島市・安芸郡熊野町・東広島市の3市町の境界が接しており、峠の南側が東広島市、北西側が熊野町、北東側が広島市となっている。杉の木には「笹ヶ峠」と記した板が取付けられており、峠の北側へと続く道にあたるところは、広島市の境界杭が建てられている。



 峠の頂上からの下りも人が歩けるだけの山道が続いている。進行方向左手に沢があるが、進むにつれて沢から離れていく。



 こちら側は峠の南側に比べると、倒木が多く、雑草が繁茂して荒れている様子から見ても、歩く人が少ないのであろう。しかし、ところどころに道であることを示すテープが付けられているので、それをたどれば道から外れることはない。



 射し込む日光を遮っていた立ち木が少なくなり、まわりが明るくなったかと思うと、ほどなく狭い舗装路へと出る。



 左へ折れると、車1台がやっと通れる幅の舗装路が続いている。その反対側、右へはコンクリート舗装の道が続いているが、林業作業専用道路のため一般車両の通行は禁止と表示されており、チェーンで封鎖されている。



 路面には大量の落ち葉が降り積もって舗装を覆っている。右側から流れてきた川に架かった橋を渡る手前には、広島市と書かれた標識が建っているが、橋を渡った先には標識板のない柱が建っているだけで何の表示もない。道路のほとりには古びた瓦などが積まれていて、昔はここに家が建っていたのかもしれない。




 続いてもうひとつ橋を渡った先で、右から畑地線という林道が合流してくる。その先に架かっている橋は広島市と熊野町の市町境となっており、橋の名前はそのまま村界橋という名前になっている。橋のたもとには市町境を示す標識があり、橋を渡ると熊野町へと入る。この橋が広島県と広島市の管理境界に当たるため、県と市が交互に管理しているようで、管理者・期間を示すための表示板もあった。



 道路左側の山側の斜面は棚田として耕作されていたようで、古い石積みが残っている。しかし、今は耕作をやめたあとに植えられたひょろひょろとした細い幹の杉が生えている。




 杉の木立の中から抜けると、プレハブの倉庫が建っており、そこから先は道路沿いに耕作されている田畑がある。町道との分かれには、県道の路線番号標識が建っており、反対側へ向けてはこの先が車両通行止であることを示す予告標識が建っている。この標識をよく見てみると、「現在地」と表示したかったつもりなのか、誤植により「現在置」となってしまっている。
 この先へ少し進むと、改良された道路が姿を現し、県道瀬野呉線との交差点まで改良された道が続いている。


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