一般県道津之郷山守線・津之郷〜駅家



 旧山陽道のルートとも重なっている県道御幸松永線には、福山市津之郷町に弘法入口というバス停がある。その先の交差道路標識の建つ、弘法さん入口と書かれた看板が設置された交差点が、県道津之郷山守線の起点となっている。交差点を右折して、田畑と住宅の混在する中を北へと進んでいく。



 左へと上下1車線ずつの整備された市道が分かれた先に、水道局のポンプ場があり、その横を過ぎると前方の小高い丘へ向けての上り坂となる。道路の右手には、丘の斜面を切り開いて石積みを築いた階段状の水田が見える。



 昭和十二年十月建立と刻まれた道路改修記念碑が傍らに建つ辻堂があり、その先左手には、広島県立福山若草園と福山特別支援学校がある。このあたりが県道沿いの集落のはずれとなり、ここから先には民家は見られない。



 墓地の横から、突然片側1車線に歩道も整備された改良済みの道路となり、その先には弘法大橋という名前の橋が架かっている。この区間は山陽自動車道の建設により県道が付け替えられた区間で、弘法大橋は山陽道の上を通る陸橋となっている。橋の上から山陽道を見ると、東側には山手トンネルの入口、そして西側には福山サービスエリアが見える。



 弘法大橋を渡ると、ほどなくもとの1車線幅の道に戻る。水道局の津之郷配水池のあたりから、道沿いにぽつりぽつりと灯篭が建っているのが目につくようになる。




 「高野山福山出張所 俄山(にわきやま)不動院」の看板があり、そこから分かれた道を下りた奥に出張所らしき一軒の建物がある。看板の先は、市道との交差点となっており、交差点の北側には「これより先 通行不能」との書かれた標識が建っている。



 市道との交差点から先へと進むと、弘法さんこと俄山弘法大師堂の境内へと続く階段がある。境内にはお堂と、弘法大師が出したと伝えられる霊水を汲む施設、宿泊所や入浴施設もある。階段が分かれた先には車1台が通れる幅の舗装路が続いているが、数十メートルほどでその舗装路も途切れてしまう。



 路面の舗装が途切れた先は、山のほうへと向けて幅1.5mあまりの未舗装の砂利道が続いている。道路沿いの草刈もなされているのか、雑草・雑木が繁茂していないので、荒れた道という感じはない。横を流れる川は砂防河川となっており、砂防堰堤も築かれている。



 未舗装の緩やかな坂道を歩いていくと狭い平場があり、平場の横に「俄山不動院」との札がかかったお堂が建っている。傍らにある石碑によると、昭和16年に建てられたようだ。お堂の右手奥には、一段高いところに女郎塚と刻まれた石を祭った小さな祠がある。ここから先は道幅が狭くなり、人が歩けるだけの道幅となる。



 道の両側には熊笹が生い茂っているものの、ここも草刈がなされているのか、しっかりとした山道が続いており、道から外れて迷うようなことはない。



 勾配がやや急になった坂道を登りつめたところで、俄峠の頂上に到着する。地元の山岳会の案内板によると、ここから西の尾根へ登ると、高増山という山へ行けるようだ。



 俄峠の北側は、台風によるものと思われる数十本の倒木により山道が完全に塞がれており、今まで歩いてきた道の続きをそのままたどることは出来ない。どこか歩けるところはないかとまわりを見渡したところ、東側の斜面に人が歩いた踏み跡が残っているので、それをたどって峠から北へと進んでいく。



 進んでいくにつれて過去にここを歩いた人々もそれぞれ違うところを歩いたのか、次第に踏み跡が不明瞭となっていく。沢沿いのなんとか人が歩いて通り抜けられそうなところを探しては進んでいくが、時々タラやイバラのとげが引っかかって痛い思いをしながら、半ば藪漕ぎ状態で歩いていく。



 沢に沿って歩いていたところ、木の枝に結び付けられた赤テープがあり、もともとの山道に戻ったようだ。木立の中に、凹部となった山道へと出て、そこを歩いていく。



 谷の幅が広くなってきたところで、沢の水が流れているところよりも一段高いところに付けられた道を歩いていく。対岸は雑木・雑草が生い茂る荒地となっているが、川面近くを見ると古い石積みが残っており、この辺りもかつては耕作地だったようだ。




 背の低い熊笹をかき分けながら進んでいくと、谷の幅が広くなるにつれて前方が明るくなり、山の中から抜けて人里が近くなっている感じを受ける。右手の山から流れ下りてくる小さな沢には、石造りの橋が架けられており、橋を支える橋台も石を積んで作られている。その橋を渡ると、ようやく駅家町側の舗装路の末端へとたどり着く。ここにはちょっとした平場があり、その傍らにはごみの不法投棄を警告する看板が建っている。




 舗装された道路になったとはいえ、熊笹が道の両側だけでなく、舗装の割れ目からも生えており、車の走行はためらわれるような状態となって箇所もあるが、歩くのには何の問題もない。道路の左手には地元の水利組合が管理している農業用のため池があり、ため池の土堤へと下りる道が分かれている。



 ため池の横を通り過ぎた先で、道路左側の雑木と熊笹などが姿を消し、前方の視界が大きく開けて、谷の下流まで見渡せるようになる。トタン作りの倉庫も建っており、いくらかは人の出入りもあるようだが、見えるのはやはり荒地となった田畑ばかりである。



 荒れた田畑を見ながら進んでいくと、前方にガードレールと片側1車線の道幅に改良された道とともに、点在する民家などもが見えてきて、集落の中へと入る。ここから先は、県道柞磨駅家線との交差点までバイパスが作られており、改良された道となっている。


 旧道はバイパスのすぐ東側にあり、福山市農協宜山支店や今岡バス停がある交差点まで続いている。ここには今も幅員規制と通行不能区間があることの予告標識が残っている。


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